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ジジェクを翻訳

ヒッチコック映画とラカン精神分析学をまたにかけるユニークな離れ業で、現代の思想問題を鋭くえぐる哲学者スラヴォイ・ジジェク。精力的な執筆と多方面に渡る発言は勢いの衰えをみせない。その彼が2003年にネット上に公開しているエッセイ「私の代わりに笑ってもらえますか?」を翻訳してみた。

 

http://web.mac.com/nsakonda/sakoweb/Zizek.html

(公開にあたってはジジェク氏本人の許可をとりました)

 

昨年の夏に自分のゼミで「テレビジョン」を題材にしたメディアアート企画展”AlterTV” を開催したときに、このテクストには直接・間接にお世話になった。じっさい、展覧会のひと部屋のタイトルは『缶詰の笑い』だったし、この作品の着想はジジェクの論考なしには成立しなかっただろう。

 

1年ぶりにあらためて読んでみて、ここで議論されていることがメディア論やメディアアートの実践のなかで、いまだに重要な示唆と価値を持ち続けていることが分かる。とりわけひとつのパラグラフでは、ものすごく凝縮された表現でラカン理論をベースにした象徴的秩序とメディアテクノロジーの突っ込んだ話をしている。もっと精緻にパラフレーズして検討してみる必要を感じた。

 

ぼくはジジェクやラカンの専門学者ではないので、さまざまな誤読やケアレスミスがあるはず。彼のクセのある英語表現もあってじっさい訳しにくかったと…言いわけをしたうえで、問題点があればご指摘ください。